受動態って「れる・られる」がわかればOK?

* 以下の内容は実際のレッスン内での生徒さんとのやりとりです。生徒さんの声はプライバシーのため加工を施しています。

生徒さんのコメント

受動態というと、「〜される」のような被害の時も使いますけど、個人的にはそれよりも何か「客観的に状態を述べる」という時に使う方が、特にビジネスとかでは多いような感じがします。

♪ 回答

さすがですねえ〜・・・!
まさかこの「『受動態はそもそも何でしょうか?』でその回答が来るとは!」 という感じです。 お見事!

そもそも受動態というのは主語・主体が「どういうことなのか?」という状態が大切で、まさにそこが真髄のところの一つなんですが、

受動態ってそもそも何ですかね?

と聞くと、大体皆さん

「〜される」とか「〜られる」とか
そういう何か受けるやつでしょ?

のように答えるわけですね。もちろんその通りなんですよ。

で、この受動態というのは日本語でも全く同じなんですけれども「大きく二つ」にわかれます。

 いわゆる「被害を被る系」のやつです。 それが一つの大前提。
あともう一つは「客観表現」。それが今、おっしゃったところですね。

「〜寺は何年に建てられた」とか、そういうやつです。

つまり、「誰がどうした」っていうことは大切ではなくて「客観的事実・客観的状況をただ淡々と述べる場合」に受動態というのが使われます。

だから

● 客観的表現
● 一般化した場合
● 中立的

とか、そういうことになりますね。

じゃあちょっと我々の「日本語」についても考えてみたいのですが、

日本語って何で受動態が多いか

というと、やっぱり「自分」というような主語を前面に

私が!私が! 私が!

と前面に出しすぎると強すぎるので、というところから「主語」をぼやかして

できるだけ相手の陣地に踏み込まない

というかね。 トゲが立っちゃうんでね。 

そのようなことを考えると、やっぱりそういう「客体表現」とか「一般表現」というのがすごくマッチする。「だから日本語は受動態が多くなる」ということです。

それを踏まえると

● 今は客観表現の時だな?
● それ以外はもうちょっと主体を出していいな?

と塩梅がつけられるようになってくるということですね。

だから、今回のプレゼン・プラクティスでは「受動態を普通に入れて問題なし」ということです。

ただここで一点、客観表現であっても受動態が続いてしまう、同じ文体が続くと受動態とかは関係なく『繰り返しが過ぎる印象』になってくるので、うまく「会社や物事を主語・主体にして『能動態』を作っていく」 ということになります。 

まとめ

● 受動態は「被害・客観表現」で使う
● あまり全面に主語を出さない日本語では「受動態」を使った表現が多い。(英語では能動態が多い)
● 「受動態」の表現が続いたときは「能動態」を挟んだりして「表現の繰り返し」を避けるのも方法

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